今度は「関蝉丸神社・上社」を訪ねます。
上社の前の道路(国道1号線)、車がめっちゃバンバン走ってるので、きちんと横断歩道を渡って行きましょう(轢き殺されます)
下社に比べてだいぶきれいに整備されている上社。
早速、鳥居をくぐって参ぱ・・・・・・
んん!?
横に何かあるよ?
近づいて見てみたら・・・
こっ・・・これはッ・・・!
百人一首じゃないかッ・・・!
何故「わがい」?宇治の方にあるんじゃないのか!?
「めぐりあいて」じゃないか!ここ石山寺じゃないんだけどな・・・!?
と思いつつも百人一首に巡り合ったので嬉しい私、楽しい気持ちで参拝。
こっちはブルーシートとかかかってない。
良い読みができるよう頑張ります!と蝉丸先生に宣言してきました。
戻ろうと振り返ったら、右手側には逢坂の関にもあった百人一首3首が。
一つ一つ、きれいに掲げてあります。
向かって右から「よをこめて」
真ん中は「これやこの」
左は「なにしおはば」
こんだけ見られりゃ満足満足、と思いつつ、鳥居に向かって左側を見てみたら、何かちょこっと貼られているのを発見。ん?あの紙何だろ?
何かここにも和歌っぽい何かが書いてありそうだぞ・・・と思いながら近づいてみたら。
「きみがためはるののにいでて」までいたー!?光孝天皇なんでー!?
あれか、光孝天皇の弟・人康親王が蝉丸先生の祖と言われてるからか?
これ以外に何か書かれてるものはありませんでしたが、とにかく思いがけず百人一首ここでも頂きましたー!ごちそうさまでしたー!
というワケで「これ」「よを」「なにし」「わがい」「め」「きみがためは」を一気に写真に収めることができ、ウハウハしながら関蝉丸神社・上社をあとにしたのでありました。
もちろん参拝後に御朱印を頂いてきましたが、関蝉丸神社自体には人がいないため、滋賀県神社庁に直接行って頂いてきます。残念ながら筆耕の方が不在だったため、書き置き(御朱印をあらかじめ書いたもの)だけ頂きました。下社の方の御朱印には、歌が書かれてるんですよ。
「わかれては」じゃなくて「わかれつつ」になってるのがポイントですね。
「後撰和歌集」や、定家が百人一首をしたためる前に作った「百人秀歌」には「わかれつつ」となっています。小倉百人一首は改変されたバージョンの方が多いのだ・・・
芸事の神様・蝉丸先生に読手としてもっともっと精進することを約束し、心新たに頑張ろうと思った私なのでありました。