かるたる!〜競技かるた日記〜

日常系競技かるたブログです。

ぶらり百人一首の旅・その2「ナシツボ5」

名取市から多賀城市に移り、次の目的地はここ!

契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波こさじとは

 

 宮城で百人一首って言ったらまずここだ!と思っていた末の松山。やっと来ることができました(嬉)

「ちぎりきな」の歌人・清原元輔は、枕草子の作者で「よをこめて」の歌人・清少納言のお父さんです。「なつのよは」の歌人・清原深養父の孫でもあります。
清原元輔は「梨壺の五人」と呼ばれる、和歌のエキスパートメンバーの一人(とてもザックリした説明)で、歌人として名高い方です。

 

末の松山はお寺のすぐそば。案内板にもありますが、松の横には普通に一般の方のお墓がズラッと並んでおり、大変シュールな感じです(苦笑)

 

「末の松山」といえば、百人一首的には「ちぎりき」ですが、その歌の下敷きになっているのは、古今和歌集に載っているこの歌です。

 

君をおきてあだし心をわが持たば
末の松山波も越えなむ

(あなたという人をさしおいて他の人に心を移すような事があったら、末の松山を波が越えてしまうでしょう)

 

「末の松山を波が越えるなんてことはない=約束を違える事は絶対にありえない」という意味。

清原元輔の「ちぎりきな」では約束を違えて別の人と結婚してしまったので「末の松山を波が越えるなんてことがあるだなんて=約束を違えるなんてありえないと思っていたのに」と詠んでいるワケですね。

 

これがその「君をおきて・・・」の歌の石碑。

 

こちらは「ちぎりきな」
横に解説も付いてますね。

 

で、肝心の末の松山ってどういう松なの?と思って見てみると・・・

 

でかっ!(率直な感想)

 

これは確かに立派な松だ。
それもそのはず。

昭和61年で樹齢480年ですから、今現在は樹齢511年ですね・・・
歴史のロマンを感じますね。

 

いや~、いいものを見た。
よかったよかった。さて、次は松島の方に向か・・・・・・

 

 

!?!?!?

 

え、ちょっと待って!
「沖の石」ってここにあんの!?(調査不足)

 

あさくら「・・・?」
亮「はい、沖の石は何の歌でしょう」
あ「えぇっ!?・・・・・・沖の石・・・沖の石・・・?????」
亮「×××××~潮干に見えぬ~沖の石~の 人こそ~知らね~乾く間も~なし~~~」
あ「あー!わがそ!!!!」

 

というワケで次回、思いがけず末の松山の側にあった「沖の石」へGO!