かるたる!〜競技かるた日記〜

日常系競技かるたブログです。

百人一首好きの苦悩

自陣の配置について再考していました。
が、なかなか良い方法が思い付かず・・・

何度も書いている通り、配置の基本コンセプトが「歌番号順」の私。
元々百人一首が好きで純粋に歌として楽しんでいた私としては、本などに掲載されている順・・・いわゆる歌番号順の方がしっくり来るからそうしているというのが理由です。「この歌は○○の頃に詠まれた歌だから順番はこの辺」という風に歌の記憶と繋がっているんですね。


でも最近思う。
「歌を歌として聞いている事が足枷になっているんじゃないか」と。


私は、純粋に「音」だけに集中しようとすると大抵間違うんですよね。
例えば「あきの」「あきか」を取りに行く時に
「『あき』で出て『か』が出たらこっち、『の』が出たらこっち」
という風に考えてると、びっくりする程お手になりやすいです。
要は「音」だけで取りに行こうとすると焦るんですね。

「秋の田の」
「秋風に」
と、情緒的な部分を感じないとキレイに取れません。

でもそれは「音に反応して速く取る」という事と相反している気がします。
コンマ何秒の速さを競う世界では、情緒なんて感じてる場合じゃないです。
身も蓋もない事を言えば、おそらく歌としてとらえる事に意味はありません。
実際、周りで「ホントの意味で歌が好き」という競技者はとても少ないですし・・・むしろ歌の意味どころか上の句から下の句まで全部覚えてないしそもそも全部なんて聞いてない、という人がほとんどです。
もしかしたら、私のような競技者の方が異端なのかも・・・

歌を歌として好きだからこそ、歌を知らないという人達に負けたくない!という気持ちが正直あるのですが、実際問題、求められるのは効率の方かもしれません・・・

あぁ、うん、書いてて気付いたわ。
最近の競技に対する元気の無さはそこか。
なんかこう、ジレンマがあるんですね。
「強くなるには余計な物をそぎ落として効率を求めなきゃいけないけれど、歌を歌として感じる事は捨てたくない」という。。。



もしかして、ものすごい強欲ですか?私。



どちらも両立するような良い取り方があればいいんですが、なかなか難しいものです。やっぱそういう考えは甘いですかね・・・
いらない情報は切り捨てなきゃダメなのかな(´・ω・`)


・・・・・・さて、配置についてもっかい考えるとするかぁ。。。